solidの記事を書いてTweetして
ゲームと観測に使えるな。
何かしらのゲームとして仕事なりスポーツなりを捉えてゲーム化して
観測する。
そこから、次にどうしようか洞察したりすればいいね。
ただゲームのチートを使うとしたら、ゲームをつまらなく感じることだ。
それはプレイすることの美しさを捨てることになる。
そうゲームをゲームとして楽しむことをやめてしまうことは、あるいみ自分からつまらなくしていくことだ。
solidや関連する英語の記事をみていて
言葉はわからないけど、そこから感じる熱量は感じた。
臨場感もうっすら感じた。
それらから感じるのは、日本にいて仕事として機能に価値をつけて売ろうとしている次元では、全くない。
気持ち悪くなった。
もっと選挙とか運動に近い熱量を感じた。
課題があったり、こうしたいって想いがあって、そのあとに言葉が出てきて紡がれている。
そんな感じがした。
ある種、お金より価値や重要性を感じている次元での想いが言葉としてうっすら出てきている。
だめだ、こんな次元と、仕事でお金だけ追っている次元を行ったり来たりしていたらマジで気持ち悪くなるのは、よくわかった。
want to
そっか苫米地博士が言っている、よくわかんないけど、抽象的に感じてる情報だ。
わかった
抽象的なwant to、理念や理想、美学が揺らいでいるんだ。
企業が持つ企業理念とか、競争倫理とかが横を見て、みんなと同じようにやってればいいと考えているから、どこまでも行き詰まりなんだ。
その抽象的な理念や理想、美学が薄いから
具体的な想いや所作さえも、それに比例して薄くなる。
精神すら漂白されて希薄になってしまうようで。
そんな現状が許され、そんな結果にキャストされるから、ゆっくりと死んでいく感じがする。