美しくいよう

🕓 Oct 23, 2018 · ☕2 min read

美しい

〜するとよい。
これだとジャッジメンタルになりすぎている。
自分でもこの罠にはまっていることに気づいた。

内向型の気質は美しい。
外向型もまた、美しい。

こうすると気持ちいいな。
こうすると心地よいな。

空気を読まないことで感じる素直な感情

例えば、自分がスポーツで友達と勝負して負けたとします。
そこで負けても楽しかったと感じるか、負けて悔しいと感じるかは、スポーツでの勝負に何を感じているかで変わってきます。
仮に、自分と友達の優劣が決まると感じていて負けたならば、屈辱や悔しさを感じたり、自分を責めたりするはずです。
自分と友達の遊びの一つでスポーツの勝負だったと感じているなら、負けても勝っても楽しかったと感じるはずです。

その感じ方の差に、正しさはあるのでしょうか。
優劣を乗せるお皿の上に勝負を置くのか
遊びを乗せるお皿の上に勝負を置くのか
それは個人が自分で選択できます。

もし個人が自分で選択をできない環境ならば、別の環境を選択できます。
例えば、同好会や部活での目的が自分の目的と違うならば、退会したり、次から別の場所に行くことだってできます。

無理にその環境に順応しようとする必要もないのです。
無理にその環境を変えようとする必要もないのです。

なんか違うわ
私はこうだ。
そう言って自分の目的に寄り添えばいいだけの話です。

空気を読むことは日本における暗黙の社会性のように浸透していますが
多数派が必ず正解なわけがないのも事実です。
民主主義というシステムでは多数派が強い力を持ちますが、少数派の意見が一概に間違っていることもないのです。

誰しも自分なりの感情や目的、主張や意見があってそれを表現しています。

自宅にいれば自宅のルール
学校にいれば学校のルール
会社にいれば会社のルール
それをはっきりを意識しているか、ぼんやりと意識しているかは個人により違いはあると察します。

複数のルールが重ね合わさった状況の中で生きていると、息苦しく感じるのも自然なはずです。


aki
WRITTEN BY
aki
artist, walker