マネタイズについて
アフィリエイトとか、アドセンスとか。
昨日、マナブログさんと、イケハヤさんのブログを見て、もやもやした。
なぜかというと、貨幣について最近考えていて
でも依然として、ストンと落ちるとこまで考えが行き着いていない。
まだ過程の感覚がある。
批評
川崎昌平さんの、はじめての批評を思い出して
マネタイズするところと、そうじゃないところ、両方を実感してみよう。
まずどちらも愛してるってことに気づいた。
もやもやするのも、なんかまだ未練みたいな、氷みたいな感覚があって
そこを液化、気化する感触が欲しいんだ。
たぶん、マネタイズについて実感がないけどモヤモヤするのは
広告を載せるために記事を書くことが、製品を製造するのと同じ考え方。
左脳的で、創造というより製作であって。
既に言葉として正解があるものを書く意味合いに感じられた。
施策
全く同じ内容のサイトを二つ用意する。
- 一方は、広告を載せない。
- もう一方は、広告を載せる。
フッター部分に広告を載せる。
どちらのサイトにも、もう片方へのリンクを載せておく。
利用者が広告ありかなしかを自分で選べるようにする。
一歩進んで
ふと一歩引いて考えると、SEOを物差しにしすぎたかも。
ティム・バーナーズ=リーさんのおっしゃる、webの形
オープンデータを掛け合わせて、検索したり引用したりできれば
確かに価値の形が変わるだろうとは思う。
なぜならお金を払って得られるほどの価値が、ボロボロ出てきたら
お金を介さない直接的な価値が利用可能になる。
よくよく考えるとSEO自体が、googleの検索に対して優位に働くようにサイトを編集することや、そのプラクティスだった。
だけど、googleの検索じゃなくて別の検索によって、直接的な価値を参照できたら、googleに対しての施策を取る必要がなくなるかもしれない。
そっか
今まで私は、サービスなり作品なりをwebに公開してSEOを実施し
広告を載せてマネタイズをすることを疑わず、確信していた。
そうだ、そうだった。
google analytics
google search console
google analytics
グーグルが入り口であることを過信していた。
そうだ、オーガニックサーチからの入り口を考えることを過信していた。
お金を過信していた
マネタイズできて、お金を稼げていることが大事だとばかり信じていた。
それすら半分盲目だったことに気づきました。
そっか、それも流れの一部なのか
アフィリエイトを推進する人は、アフィリエイトの商材から情報を買ってるんだ。
つまり、流れの一部なんだ。
売れるものを買ってる。
これ使ってみよう、これ信じてみよう、これの感想書こう。
みんなにも教えてあげようって思いで、ものや情報や人に対して縁を紡ごうとしてるのか。
それは流れの一部であって、信じるでもあり、応援でもあり、投票でもあり、使うでもある。
なるほど。
アフィリエイトで小さな成功をすれば、今度はそれを土として、アフィリエイトを教えるアフィリエイトとしてより抽象的な視点で観察できることを提供する。
個性の思想を精神と身体を通して映すファインダーだ。
どこまでも、その人の思想を映している。
その人は、その人の確信する世界を映している。
批評について教えてくれた川崎さんに感謝
前々から、ジャッジメンタルな無限ループに陥っていたのを、自分なりにどうにかあがいて、アートの領域まで抽象的にみようとしてきた。
そして今、感覚で動けるようになってきた。
スルーでもなく、bothの感覚は今すごいフィットしてる。
どちらも愛した上で、それを観察して洞察しようとしている自分自身が変わる。
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